2014年5月31日土曜日

好き勝手つぶやく。

本当に彼に恋をしていた。
ASKAファンの女性にはそんな人が多いんじゃないだろうか。(もちろん私も含め)

恋人の突然の豹変、裏切り。
もう大嫌い、顔も見たくないと、目に見える思い出の品すべてを処分する。

そんなことできるわけない。
ダメな人でも好き、そして反対にこんなにしてしまったのは自分と責めて、まだ彼を愛してしまう。
自分の限界が訪れるまで、ボロ雑巾になって捨てられようがかまわないと愛し続ける。
結ばれなくとも会えなくとも、いつまでも許し続けてしまう。

そんな傾向がなかろうか。(って言いすぎですか?)

少なくとも私は公私(?)共にそうだったのだが、
現在は主観をとりあえず置いておいて、冷静な判断をしようとする自分に気が付いた。

出てくる情報がブラックすぎて、まだ自分の感情が置き去りにされているのか、
ついつい週刊誌の記事を比較してみたりしている。

女性週刊誌は家族愛的なものに持って行きたそうだ。
男性週刊誌はひたすらあっち方面だ。

週刊誌はそれぞれ手に取ってもらいやすい内容を記事にしているわけだが、
これでは男と女は永遠にわかりあえないはずだわなんて悟ってみたりする。


裏切られたとか嘘を吐かれたとか、そんな思いは不思議とない。
できない約束を無理やりさせてかわいそうだったなと思う。


 いつまでも俺をあの日の姿で閉じ込めようとする群れがいる。
 この空にだって穴をあけちまう時代に俺の足跡で海をつくり泳げないという。

 寂しいことはもっとほかにある。いつもいつも思うこと。


改めて歌詞を見てみると、なかなか凄い。
今読むと、特に迫り来る。
彼には全ての事が見えているじゃないかと思わされる。
この「群れ」が入っているアルバムが実は私は一番好きだ。
めずらしくASKAさんが「俺」と歌っているのが新鮮だった。
このアルバムはそれまでとは明らかに違っていた。
そして発売当初より、年を重ねてから聴きなおした方が一層心に響くものがあった。

そもそも、どんな人との関わりもそうだが、
「私」に見せた顔だけが「その人」であり、その人との距離だ。

それ以外の顔も見せてくれるかどうかは本人次第。
剥がしてまで見たいと思うが、それは賢明な判断かどうかわからない。

自分の見てきたその人と違うから、どうして、なんで、と理由を知りたくなるけど、
あなたの知らなかった世界のことと言われるよりは、
「魔が差した」の一言で済ませてもらいたいと思う。
それ以上にこちらが納得できる理由なんてないんじゃないだろうか。
誰だってどんなことも、思いがけない方向へ転がることなんて予測不能だ。
ただ、あ、あの時、と思う一瞬だけは必ずある。
私たちは近くても愛してても言葉を尽くしても分かり合えないんだし、
自分のことさえも言葉で説明できない。
だから、どんな理屈や謝罪よりも的確な気がする。
社会的にはそれでは済ませられないが、私への感情に対してはそう言われたいと思うのだ。


2週間。感情が落ち着いて疲れが出始めるころだ。
意識して考えない時間を作ってよく眠ろう。

この自分の冷静な駄文は何なんだろう。
わーわー泣ける方がずっと本物だろうなと思う。


2 件のコメント:

  1. 涙が出るほど よくわかります。。。
    「あなたの得たものは? あなたの失くしたものは?」
    と、私なら詰問しそう。

    冷静になって考えられるほほさんは えらいな~。

    私は、私の知らなくていいあの人の部分は、見ないようにしています。
    見えるあの人だけが 好き♡

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    1. kumikoさま
      おはようございます。ご心配をおかけいたしております。。。

      「見えるあの人だけが好き」なるほどなー。
      自分の中でだけ想像して好きになっても良い人がいるって、
      実はとても大切なことだったんだなあと今更気が付いています。
      心に栄養を注いでもらうようなものだったんですねー。

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